というわけで、ヘロヘロしながらではありますが
思い出すと、勿体なくてポツポツと書き始めてみました
先日の「コーセーアンニュア―ジュトーク/芸術の存在のヤバさ」
参加させて頂いて「うわ♪面白い〜♪」と
印象に残ったお話を書かせて頂いています。
記憶に残っている範囲なので、抜けている所
記憶違い...思い違い...などなど沢山あるかと思いますが
雰囲気だけでもお伝え出来れば嬉しいな♪と思います。
では、では、長くなりますが
よろしければお立ち寄りになってみてくださいね。
※長くなりますので2部に分けました「その1」です。
思い出すと、勿体なくてポツポツと書き始めてみました
先日の「コーセーアンニュア―ジュトーク/芸術の存在のヤバさ」
参加させて頂いて「うわ♪面白い〜♪」と
印象に残ったお話を書かせて頂いています。
記憶に残っている範囲なので、抜けている所
記憶違い...思い違い...などなど沢山あるかと思いますが
雰囲気だけでもお伝え出来れば嬉しいな♪と思います。
では、では、長くなりますが
よろしければお立ち寄りになってみてくださいね。
※長くなりますので2部に分けました「その1」です。
開演前の優しいピンク色の照明から
一転して明るいグリーンの照明に変わるステージ...。
司会の「まあくまさこさん」が先ずはご登場。
ドレッシーに結い上げた髪にとても似合う
燕尾風の白のボレロに、スパニッシュな衣装の様な
広がりの黒のチュールのロングスカートにショートブーツ。
ちょっと先日の石井さんの「CHNADELIER SCANDAL」
を思い浮かべる雰囲気のお衣装で...。
二か月に一回の割合でお送りしています
コーセーアンニュア―ジュトークも196回という今夜。
まずはこの方からご紹介したいと思います。
もう皆さんご存じの...「石井竜也さんです!」
という声とともに「夢の迷い道で」の曲とともに
石井さん、上手の袖から、
片手を挙げて片足で、まるで妖精が飛び出す様に
ピョンとステージに踏み出して素敵な笑顔で客席に「ニッコリ」
1月にスペシャル(筑紫哲也さんの追悼の会)で
お超し頂いてはいるんですが、
こうした通常の、アンニュア―ジュトークはお久しぶりですね。
なんてお話をされるマークさんと、石井さん。
続いてこの方をご紹介します、イタリアフレスコ画家の第一人者
絹谷幸二さんです!という声とともに
「DANCE IN LOVE」に合わせる様に
石井さんに負け無いお茶目な仕草で
下手袖から、ヒョッコリ上半身を覗かせて...からのご登場
絹谷さん、この登場がとても嬉しそうでした。o(^_^)o
今回のテーマ「芸術の存在のヤバさ」という
核心に触れる話題といえるかどうか判らないのですが
絹谷さんを「絹谷先生」と呼ぶものの
石井さんは「石井せ...」まで言いかけて「石井さん」
と呼び直す「まあくさん」に
絶対俺の事は先生って言わないもんな〜!
俺は、先生って呼ばれるの嫌いじゃ無いのに...。
(あれれ...そうでしたっけ?ー笑ー)
なんてわざと言ってみる石井さんに
僕はね「アーティスト(芸術家)」って言われるのが好き。
でも、最近僕ナンカは「アーティスト」って言われないんだよね。
「髪を切る人」とか「お化粧」をする人なんかは
「アーティスト」って呼ばれるのに「画家」とか「絵描き」
ってしか呼ばれない...。
というお話しの中に「アーティスト(芸術家)」という存在
「アート」という存在の認識のされかた...
捉えられ方に対する、絹谷さんのお気持ちが、
込められていたんじゃ無いのかなぁ...なんて思い返しております。
「故郷自慢・父自慢」
僕の生まれた街は福島と北茨城の県境の港町で
本当に当時何もない殺風景な所で
そこで家が100年以上続いたお菓子屋をやっていて
僕もずっとお菓子屋を継ぐんだと思って
父親に「継ぐんだよね?」なんて
子供心に親父に聞いたりしたけど
親父も昔絵を画いていて、俺にソレ(店を継ぐ事)
をさせたく無くて、「絵を描かせたかった」らしくて
ここに居ても学べる事は限られている
外へ出なさい...と言って、高校生の頃に
半ば強引に状況させられたお陰で今の俺があるんです。
と、お話しされる石井さんに
いいお父さん!素晴らしいお父さんだね!
そうやって、どんどん何かを吸収する為に
人は外に向かって出て行かなくちゃいけないよね。
石井さんのお父さんも素晴らしかったけど
僕の親父も素晴らしくてね。
お金が無いから愛人に食べさせて貰っているような
そんな自由奔放な生活でしたけど。
あの頃は今の僕よりも、遥かに贅沢な生活をしていたんですよ。
と、絹谷さん。
一体どんな...?と思いきや、
明け方の4時頃に、仲間達と「真鶴(舞鶴?)」
まで電車で出掛け、海に潜って、それは大きなアワビや
ウニやサザエを捕ってお腹いっぱいに食べていた。
(それは先生、自給自足...っていうんじゃ?という石井さんに)
海で取れた魚には醤油は要らないの知ってる?
魚のタンパク質と塩で焼くと、魚が醤油の味がするから
なんて海育ちの石井さんもビックリな発想に思わず笑いが♪
もしくは夜遅くに夜行列車で岩手県の方へ向かうんですよ
で、明け方に着くと、丸太の上をオソルオソル渡りながら
山奥へと入って行くわけです、○○という土地の...と話す絹谷先生に
(先生、その土地の名前に馴染みが無さ過ぎて
何処か判らないんですが?...と尋ねる石井さんー笑ー)
場所は「川端康成の小説」で
「トンネルを抜けると其処は雪国だった...」というあの辺ですよ。
という説明を聞いて「あ〜ああ!」という雰囲気だった会場(笑)
そこで魚を捕って食べるわけですね。
(と、またまた自給自足なお話しー笑ー)
だからあの頃は今よりもズット贅沢だったわけですよ。
料亭なんかで食べても、器は素晴らしいけれど
「チョビット」しか出て来なかったりするでしょ?
(そうですね、美味しいともっと食いてえなぁ〜!
って時が時々ありますもんね!、と石井さん)
ウチの親父もそう言う意味では自由に生きていましたね〜。
(と、負けじと石井さんー笑ー)
先日、ウチの親父が亡くなったばかりなんですが
俺、預金通帳の残高6万五千円て見て吃驚しましたもん。
全部俺が送ったお金とか、自分の為に使ってたんですね。
普通、送った中から「子供の為に」とか思って
貯金しておいたりする...と思うじゃないですか?(笑)
でも、俺は親父から学びましたね
「墓まで金は持って行けないんだ」って...。
という石井さんのお話を受けて
お金が無いから...といって親が縮こまった生き方をしていたら
それを見て育つ子供も、縮こまった生き方になってしまう。
親が人生を謳歌している姿を子供に見せなければ...と絹谷さん。
普通の人が絵を描くと言った時
「絵描きなんて食えないから」と止める人がいて
40パーセント位の人はそこで「食えないのか」と止めてしまう。
でも、絵なんて材料にはそんなにお金がかから無くて...
(という絹谷さんに、いや、でも絵の具1本6千円とか...
赤とか紫とか高い絵の具もあるじゃないですか...!とすがる石井さんにー笑ー)
そういう高い色は使わないでとって置く!と胸を張って
笑ってみせる絹谷さんに
(そ...使ってもホンのちょっとずつですよね。
食うや食わずで、高い絵の具はちょびっとずつ使って...
と「苦労人時代」のお話をされる石井さん)
親父の姿を見ていて、そこで縮こまらなかった、
止めなかったから今の僕があるんですよ、と絹谷さん。
「人生とイタリアの話し」
僕は、イタリアに渡ってから絵が一変した。
それまでも、日本では「日本画」のようなモノトーンの絵を描いても
人がなかなか取れない様な、大きな賞を戴ける位の絵を描いていたのを
一旦全部、投げ捨てて、常に「一から」の気持ちになって再構築した。
それまでのモノトーンの画で得た色々なモノを捨てて
取っておいた赤や紫の絵の具をドバーっと使って描いたわけですよ。
イタリアに触れて「取っておいても仕方ない!」
って思ったからですね...と絹谷さん。
イタリア人は時間の使い方がとても上手いと思うと絹谷さん。
彼等を見ていると実にチャランポラン(あらら)
鼻歌を歌いながら仕事をして、さっさと終わらせて帰ったり
残った時間で遊んでいる。
傍から見ると「なんだかいい加減な」と見えるが
彼等は頭が良くて、実に効率よく計画的に
仕事を早く終わらせる技術や能力を持っているから...と絹谷さん。
日本人とイタリア人の大きな違いを感じた出来事として
米米CLUBの時に、複雑な形のベルトのバックルを
デザインした石井さんが、日本の職人さんに製作を依頼すると
「こんなのはやった事がないから出来ない」と
何度交渉しても断られて困っていた時に
イタリア人の友人の紹介で有名なブランドも手掛けている
イタリア人の職人さんに見せた所
「こんな複雑な型はやった事が無いからオモシロイ!」
と、言って引き受けてくれた。
「やった事がないから出来ない」と思うか
「やった事がないからオモシロイ」と思うか...
そこの違いだと思うんですね...と石井さん。
さらに...人生を謳歌するという点でも
外国では「税金が高い」「大変」とか言われるが
その分保障がもの凄く整っている。
子供をただで産む事も出来るし、産まれた子供を育てるのにも
国から派遣される専門的な資格を持った人と一緒に育てる事も出来る。
「こんな生活の人が?」と思える収入の人が
大きな別荘を持って優雅に暮している外国の現状を見ると
世界の中で、人生を謳歌するコトや、
時間の使い方が一番ヘタクソなのは 日本人の様な気がする。
みんなオトナなんでこういうお話しもしますが...と前置きされ
こういう経済状況で、日本の政治家たちが
今やっている議論もちゃんちゃら可笑しい
オバマさんも何処まで変えられるのか疑問に感じるし
日本人はモッと頭のいい生き方を
勉強しなくちゃ...と感じますよね...と
現実に即した耳の痛いお話を...。
他にも、外国では「アート」というのは
大切な「リスクマネジメント」を担っていて
大きな戦災などの後に、真っ先に復興したのは
「図書館」と「美術館」「コンサートホールだった」
という絹谷さんに
先日、「美空ひばりさん」の番組を拝見していたんですが
僕等は「ひばりさん世代」ではなかったけれども
戦後混乱期の「ひばりさん世代」の方が
どれだけあの方の歌に勇気づけられ、力付けられたか...
を感じましたね...という石井さんも
何年か前に、空撮で空からの川の流れを映す
雄大な風景を前にして、ひばりさんの
「川の流れのように」を歌われていましたよね...。
「水・火・光・下駄」
お話しが前後しますが、冒頭で石井さんの故郷
北茨城のお話しをされた際に
横山大観や、石井白石等の有名な絵画の大家を排出し
日本芸術院の発祥の地でもあるんですよね...。
と、ご自分の古郷を紹介される石井さんと
奈良ご出身で、琵琶湖の畔の風光明美な土地に
生まれ育ったと仰る絹谷さんは
「僕も日本芸術院の会員なんですよぉ〜!
自慢になっちゃうかなぁ、うふふ」と愉し気に笑う
絹谷さんのお話しは自慢話でも人をムッとさせない
人柄...といいますか、
石井さんと同じく「人を楽しませよう」と
心を砕いていらっしゃる雰囲気が自然と滲み漂っている
そんなお話し...言葉の選び方を
心掛けていらっしゃるのを感じる方でした。
その絹谷さん、奈良は「奈良漬け」と「茶粥」ばかりの土地で...と
石井さんがご自分の育った土地を紹介される際
「何も無い場所で」と控えめに、謙遜して紹介された事を受けて
「海の新鮮なお魚は羨ましいですね、
奈良には海はなくてもともとは、湿地だった場所を
干拓して住める様になった土地ですから...」と賞賛して下さり...。
奈良の自慢として水が綺麗な事をあげられ
2月のお水取りの際に、東大寺の二月堂まで
春日山からお水を引いて来てそのお水を汲む...。
その二月堂の中で、おびただしい篝火に
下駄がけでもって堂の中を走り抜け、
松明で灯を点けていく行事は正に圧巻で自慢です!と絹谷さん。
閉ざされた堂の中に「カカカカカ...」と響く下駄の音は
それ自体が音楽の様なんですね...と。
そこに「火」という幻想的な光で照らしだされて
堂の中に影が走り抜ける光景は、Art&Musicで
ひとつのショーになっている。
下駄の音は、タップの音と近いモノがあるかも知れないですね、
僕も「ヒデボー」という素晴らしいタップダンサーと
コンサートをした事があるけれど、
タップの音は一つの楽器と同じで見ている人間を魅了するんです。
で...下駄っていうのはナンで歯が2本なんでしょうね?
なんていう石井さんのお話を受けて
下駄っていうのは最近の人は履きませんが、
昔、位の高い武士しか履けない履物だったそうですね、と絹谷さん。
先日もテレビで見たんですが(笑)
「高杉新作」なんかは下級武士で、下駄が履けなかった
それが口惜しくて「靴」を履くようになったそうだね...と。
下駄と言えば、京都の舞妓さんのあの下駄...というか「箱?」
みたいなヤツも、僕は一度履いてみたいな...と思うんですけど
アレはなかなか履けないんでしょうね?と石井さん
(私も一回履いて花魁行列してみたいなぁ〜♪こらこら^^;ゞー笑ー)
あれは難しいでしょうし、
そうそう履け無い下駄ですよねぇと絹谷さん。
水のお話しとして、以前石井さんが対談された
千住博さんとの対談(※顏魂展図録に収録)
の際に伺った「牡鹿」のお話しが印象的で...と石井さん。
ある山の滝の前に現れた一頭の牡鹿が
まるで身を呈して仲間を護る様に
目の前に雄々しく立ちはだかる姿に「気」を呑まれて
その滝を思い出す時に「滝」そのものではなく
その牡鹿の「気」のようなものを思いだして描いたというお話しで
石井さんもそのお話を聞いた後に参加した
屋久島でのコンサートの際に
普段は降りた事の無い滝壺まで降りて感じた滝が
細かい粒子となって包み込む様な空気感は全く異質で
グチャグチャになっていた頭の中を、ハッキリと
明確に「あるべき場所」に「これはココ!」と整理して
スッキリさせてくれる様な感覚を感じた。
昔から修行をするお坊さん等が
滝に打たれたりしているのはこういうことなんだと思った...と。
水は素晴らしいですよね、今度石井さんもステージで
滝かなんかをバーッと落としたら素敵じゃ無いですか
(はい、私も常々そう思っていますー笑ー)
と、いう絹谷さんの言葉に
水はねえ...「ステージで水は使うな」と言われている位
お金が掛かるモノなんですよ。
大きなプールなんかを使う場合でも、
水だけでは、ショーにならないので、水の下に照明の配線を這わせたり
色々な仕掛けをしなくてはイケナイワケですから...。
(分かっている...分かっているんです...でもいつか...♪ー笑ー)
ハリウッドなんかで、やっている光と噴水のショーなんて
あれだけで何百億なんじゃないですかね?、という石井さん。
「なるほど...水と光...いろいろ研究されてますね」
と、絹谷さんにお褒め頂いた石井さん曰く
みんなには見せない様に、こう...隠す様にして(と、手で覆いー笑ー)
いろいろな新しい技術等も勉強してコッソリメモしたものが
沢山おありなのだそうです、ハイ♪。
「愛と都と排泄物と(こらこら)」
奈良...というお話しの中で「遷都」にまつわるお話を
昔の日本の都が、遷都を繰り返したのは
「排泄物」との追いかけっこであり
疫病との追いかけっこだったんですよ...と絹谷さん。
一つの都に人が増えて排泄物で溢れると
疫病が流行り、それから逃れる様に都を移し...を繰り返したそうで。
※考えてみれば、道端に平気で牛の糞が落ちていたんですから
人が増えて、不衛生さが増せば自然疫病も蔓延しますよね。
大きな都というのは大体そうですよね、と石井さん。
強大なローマ帝国が滅びたのも、増え過ぎた人口に見合う
木を伐採したり、排泄物や疫病に追われて
外へ外へと「領土を拡げた」のではなくて
「移して行っただけ」だったんですね...と。
絹谷先生曰く、「ヨーロッパ」と言う言葉も
ギリシャから見て「劣っている土地」という意味だそうで
昔は「劣っている」とみなされてたんですね...と。
(「敦厚」という地名は「大都市」という意味だそう)
同じ様に「ルネッサンス」も「排泄物と疫病」の賜物...
的な絹谷先生のお話しにフムフム...。
不衛生だったヨーロッパでペストが流行して
4人に1人くらいが「明日死ぬかも知れない」という時代。
「明日死ぬかも知れない」と思ったら「みなさん今夜何をします?」
と、会場に尋ねる絹谷先生...。(ご講義のようだー笑ー)
「....」口籠る雰囲気の会場...(笑)「することはひとつ...」(笑)
イタリア人にはそういう「危機感」の遺伝子が組み込まれてるんです
「だから情熱的だ」という絹谷さんに
「そうですかぁ〜?」と、疑わし気な声を漏す石井さん♪(笑)
愛(アモーレ)、美食(マンジャーレ)・歌(カンターレ)
これがルネッサンスの頃の
本当の貴族階級の生活の全てで「労働」はしなかった。
ほら...!石井さんを見てると「イタリア人」に見えて来るでしょ?と
悪戯っぽく笑う絹谷さんに、石井さんは、笑うばかり...。
(否定しないトコが好きだー笑ー)
「フレスコ画/黄金テンペラ」
またまたここでお話しが前後しますが、
さきほどの舞妓さんのお話しの流れで...だったと記憶する
「フレスコ画/黄金テンペラ」のお話を
京都の街の舞妓さん、僕も絵に描いたりするんですが
何故彼女達の肌、お化粧はあんなに白くすると思いますか?
昔は、灯りが少なく、お客さんを迎えるのに暗闇でお迎えした。
その中でも顔がハッキリと判る様に、
ああいうお化粧になったんですよ、と絹谷さん。
「だから、僕のコンサートなんかでも『アタシ目立ちたいわ』
という人は、ああいう真っ白いメイクにすると目立ちますから。
ただし...2番から歌えなくなりますけどね(笑)と、笑う石井さん。
フレスコ画の材料は漆喰といいますが
あれは「貝」から出来ていて食べられるし、
みなさんが使っている化粧品の中にも入っているんですよ。
化粧品は肌の中にいかに水分を
上手に浸透させるかが大切なのと同じで
フレスコ画も水を使った顔料という「色」を
いかに浸透させるかが大切なんです。
さきほどの舞妓さんの白塗りは難しくて、
やり直しが利かないけど
フレスコ画は、色々な色を重ねたりもして
以外と厚塗りなんですよ(笑)、と絹谷さん。
僕も実はフレスコ画やった事があるんですよ。
「黄金テンペラ」っていいまして...。
芸大の田口教授という「黄金テンペラ」を
考案された第一人者の方と、ウチの親父が同僚だった...
という縁もありまして...と石井さんが言うと
田口さんは、僕のフレスコ画の師匠にあたる人で
今はたしか「いわき美術館」の
館長をされていたんじゃないかな?と絹谷さん。
その黄金テンペラのフレスコ画...もそうなんですが
絹谷さんは、他の作品の中でも
普段「これと、これはちょっと混ざらないな」
っていう素材を混ぜて絵を描かれていたりしますが
あれは「研究を重ねた上で...」なんですか?
それとも、もうただ「やりたい!」と思われたまま
無茶苦茶に混ぜ合わせて画面に叩きつけたり...
なんていう時もおありになるんですか?とお尋ねする石井さん。
研究ですねぇ...と二ヤリそする絹谷さん。(笑)
どうやったら混ざるんだろう?と思考錯誤して
見付け出した答えが「33度」という温度なんですよ。
水と油をその温度で混ぜて、あるものを1滴落とすと
「これは企業秘密なんで教えませんけど(笑)」
マヨネーズの様な状態になる瞬間がある事を見つけたんです。
と、スッゴク興味津々なお話を...。
「1滴」って「お酢」とかだったら、
まんま「マヨネーズ」ですよね。(笑)
〜という所で2部に続きます〜
一転して明るいグリーンの照明に変わるステージ...。
司会の「まあくまさこさん」が先ずはご登場。
ドレッシーに結い上げた髪にとても似合う
燕尾風の白のボレロに、スパニッシュな衣装の様な
広がりの黒のチュールのロングスカートにショートブーツ。
ちょっと先日の石井さんの「CHNADELIER SCANDAL」
を思い浮かべる雰囲気のお衣装で...。
二か月に一回の割合でお送りしています
コーセーアンニュア―ジュトークも196回という今夜。
まずはこの方からご紹介したいと思います。
もう皆さんご存じの...「石井竜也さんです!」
という声とともに「夢の迷い道で」の曲とともに
石井さん、上手の袖から、
片手を挙げて片足で、まるで妖精が飛び出す様に
ピョンとステージに踏み出して素敵な笑顔で客席に「ニッコリ」
1月にスペシャル(筑紫哲也さんの追悼の会)で
お超し頂いてはいるんですが、
こうした通常の、アンニュア―ジュトークはお久しぶりですね。
なんてお話をされるマークさんと、石井さん。
続いてこの方をご紹介します、イタリアフレスコ画家の第一人者
絹谷幸二さんです!という声とともに
「DANCE IN LOVE」に合わせる様に
石井さんに負け無いお茶目な仕草で
下手袖から、ヒョッコリ上半身を覗かせて...からのご登場
絹谷さん、この登場がとても嬉しそうでした。o(^_^)o
今回のテーマ「芸術の存在のヤバさ」という
核心に触れる話題といえるかどうか判らないのですが
絹谷さんを「絹谷先生」と呼ぶものの
石井さんは「石井せ...」まで言いかけて「石井さん」
と呼び直す「まあくさん」に
絶対俺の事は先生って言わないもんな〜!
俺は、先生って呼ばれるの嫌いじゃ無いのに...。
(あれれ...そうでしたっけ?ー笑ー)
なんてわざと言ってみる石井さんに
僕はね「アーティスト(芸術家)」って言われるのが好き。
でも、最近僕ナンカは「アーティスト」って言われないんだよね。
「髪を切る人」とか「お化粧」をする人なんかは
「アーティスト」って呼ばれるのに「画家」とか「絵描き」
ってしか呼ばれない...。
というお話しの中に「アーティスト(芸術家)」という存在
「アート」という存在の認識のされかた...
捉えられ方に対する、絹谷さんのお気持ちが、
込められていたんじゃ無いのかなぁ...なんて思い返しております。
「故郷自慢・父自慢」
僕の生まれた街は福島と北茨城の県境の港町で
本当に当時何もない殺風景な所で
そこで家が100年以上続いたお菓子屋をやっていて
僕もずっとお菓子屋を継ぐんだと思って
父親に「継ぐんだよね?」なんて
子供心に親父に聞いたりしたけど
親父も昔絵を画いていて、俺にソレ(店を継ぐ事)
をさせたく無くて、「絵を描かせたかった」らしくて
ここに居ても学べる事は限られている
外へ出なさい...と言って、高校生の頃に
半ば強引に状況させられたお陰で今の俺があるんです。
と、お話しされる石井さんに
いいお父さん!素晴らしいお父さんだね!
そうやって、どんどん何かを吸収する為に
人は外に向かって出て行かなくちゃいけないよね。
石井さんのお父さんも素晴らしかったけど
僕の親父も素晴らしくてね。
お金が無いから愛人に食べさせて貰っているような
そんな自由奔放な生活でしたけど。
あの頃は今の僕よりも、遥かに贅沢な生活をしていたんですよ。
と、絹谷さん。
一体どんな...?と思いきや、
明け方の4時頃に、仲間達と「真鶴(舞鶴?)」
まで電車で出掛け、海に潜って、それは大きなアワビや
ウニやサザエを捕ってお腹いっぱいに食べていた。
(それは先生、自給自足...っていうんじゃ?という石井さんに)
海で取れた魚には醤油は要らないの知ってる?
魚のタンパク質と塩で焼くと、魚が醤油の味がするから
なんて海育ちの石井さんもビックリな発想に思わず笑いが♪
もしくは夜遅くに夜行列車で岩手県の方へ向かうんですよ
で、明け方に着くと、丸太の上をオソルオソル渡りながら
山奥へと入って行くわけです、○○という土地の...と話す絹谷先生に
(先生、その土地の名前に馴染みが無さ過ぎて
何処か判らないんですが?...と尋ねる石井さんー笑ー)
場所は「川端康成の小説」で
「トンネルを抜けると其処は雪国だった...」というあの辺ですよ。
という説明を聞いて「あ〜ああ!」という雰囲気だった会場(笑)
そこで魚を捕って食べるわけですね。
(と、またまた自給自足なお話しー笑ー)
だからあの頃は今よりもズット贅沢だったわけですよ。
料亭なんかで食べても、器は素晴らしいけれど
「チョビット」しか出て来なかったりするでしょ?
(そうですね、美味しいともっと食いてえなぁ〜!
って時が時々ありますもんね!、と石井さん)
ウチの親父もそう言う意味では自由に生きていましたね〜。
(と、負けじと石井さんー笑ー)
先日、ウチの親父が亡くなったばかりなんですが
俺、預金通帳の残高6万五千円て見て吃驚しましたもん。
全部俺が送ったお金とか、自分の為に使ってたんですね。
普通、送った中から「子供の為に」とか思って
貯金しておいたりする...と思うじゃないですか?(笑)
でも、俺は親父から学びましたね
「墓まで金は持って行けないんだ」って...。
という石井さんのお話を受けて
お金が無いから...といって親が縮こまった生き方をしていたら
それを見て育つ子供も、縮こまった生き方になってしまう。
親が人生を謳歌している姿を子供に見せなければ...と絹谷さん。
普通の人が絵を描くと言った時
「絵描きなんて食えないから」と止める人がいて
40パーセント位の人はそこで「食えないのか」と止めてしまう。
でも、絵なんて材料にはそんなにお金がかから無くて...
(という絹谷さんに、いや、でも絵の具1本6千円とか...
赤とか紫とか高い絵の具もあるじゃないですか...!とすがる石井さんにー笑ー)
そういう高い色は使わないでとって置く!と胸を張って
笑ってみせる絹谷さんに
(そ...使ってもホンのちょっとずつですよね。
食うや食わずで、高い絵の具はちょびっとずつ使って...
と「苦労人時代」のお話をされる石井さん)
親父の姿を見ていて、そこで縮こまらなかった、
止めなかったから今の僕があるんですよ、と絹谷さん。
「人生とイタリアの話し」
僕は、イタリアに渡ってから絵が一変した。
それまでも、日本では「日本画」のようなモノトーンの絵を描いても
人がなかなか取れない様な、大きな賞を戴ける位の絵を描いていたのを
一旦全部、投げ捨てて、常に「一から」の気持ちになって再構築した。
それまでのモノトーンの画で得た色々なモノを捨てて
取っておいた赤や紫の絵の具をドバーっと使って描いたわけですよ。
イタリアに触れて「取っておいても仕方ない!」
って思ったからですね...と絹谷さん。
イタリア人は時間の使い方がとても上手いと思うと絹谷さん。
彼等を見ていると実にチャランポラン(あらら)
鼻歌を歌いながら仕事をして、さっさと終わらせて帰ったり
残った時間で遊んでいる。
傍から見ると「なんだかいい加減な」と見えるが
彼等は頭が良くて、実に効率よく計画的に
仕事を早く終わらせる技術や能力を持っているから...と絹谷さん。
日本人とイタリア人の大きな違いを感じた出来事として
米米CLUBの時に、複雑な形のベルトのバックルを
デザインした石井さんが、日本の職人さんに製作を依頼すると
「こんなのはやった事がないから出来ない」と
何度交渉しても断られて困っていた時に
イタリア人の友人の紹介で有名なブランドも手掛けている
イタリア人の職人さんに見せた所
「こんな複雑な型はやった事が無いからオモシロイ!」
と、言って引き受けてくれた。
「やった事がないから出来ない」と思うか
「やった事がないからオモシロイ」と思うか...
そこの違いだと思うんですね...と石井さん。
さらに...人生を謳歌するという点でも
外国では「税金が高い」「大変」とか言われるが
その分保障がもの凄く整っている。
子供をただで産む事も出来るし、産まれた子供を育てるのにも
国から派遣される専門的な資格を持った人と一緒に育てる事も出来る。
「こんな生活の人が?」と思える収入の人が
大きな別荘を持って優雅に暮している外国の現状を見ると
世界の中で、人生を謳歌するコトや、
時間の使い方が一番ヘタクソなのは 日本人の様な気がする。
みんなオトナなんでこういうお話しもしますが...と前置きされ
こういう経済状況で、日本の政治家たちが
今やっている議論もちゃんちゃら可笑しい
オバマさんも何処まで変えられるのか疑問に感じるし
日本人はモッと頭のいい生き方を
勉強しなくちゃ...と感じますよね...と
現実に即した耳の痛いお話を...。
他にも、外国では「アート」というのは
大切な「リスクマネジメント」を担っていて
大きな戦災などの後に、真っ先に復興したのは
「図書館」と「美術館」「コンサートホールだった」
という絹谷さんに
先日、「美空ひばりさん」の番組を拝見していたんですが
僕等は「ひばりさん世代」ではなかったけれども
戦後混乱期の「ひばりさん世代」の方が
どれだけあの方の歌に勇気づけられ、力付けられたか...
を感じましたね...という石井さんも
何年か前に、空撮で空からの川の流れを映す
雄大な風景を前にして、ひばりさんの
「川の流れのように」を歌われていましたよね...。
「水・火・光・下駄」
お話しが前後しますが、冒頭で石井さんの故郷
北茨城のお話しをされた際に
横山大観や、石井白石等の有名な絵画の大家を排出し
日本芸術院の発祥の地でもあるんですよね...。
と、ご自分の古郷を紹介される石井さんと
奈良ご出身で、琵琶湖の畔の風光明美な土地に
生まれ育ったと仰る絹谷さんは
「僕も日本芸術院の会員なんですよぉ〜!
自慢になっちゃうかなぁ、うふふ」と愉し気に笑う
絹谷さんのお話しは自慢話でも人をムッとさせない
人柄...といいますか、
石井さんと同じく「人を楽しませよう」と
心を砕いていらっしゃる雰囲気が自然と滲み漂っている
そんなお話し...言葉の選び方を
心掛けていらっしゃるのを感じる方でした。
その絹谷さん、奈良は「奈良漬け」と「茶粥」ばかりの土地で...と
石井さんがご自分の育った土地を紹介される際
「何も無い場所で」と控えめに、謙遜して紹介された事を受けて
「海の新鮮なお魚は羨ましいですね、
奈良には海はなくてもともとは、湿地だった場所を
干拓して住める様になった土地ですから...」と賞賛して下さり...。
奈良の自慢として水が綺麗な事をあげられ
2月のお水取りの際に、東大寺の二月堂まで
春日山からお水を引いて来てそのお水を汲む...。
その二月堂の中で、おびただしい篝火に
下駄がけでもって堂の中を走り抜け、
松明で灯を点けていく行事は正に圧巻で自慢です!と絹谷さん。
閉ざされた堂の中に「カカカカカ...」と響く下駄の音は
それ自体が音楽の様なんですね...と。
そこに「火」という幻想的な光で照らしだされて
堂の中に影が走り抜ける光景は、Art&Musicで
ひとつのショーになっている。
下駄の音は、タップの音と近いモノがあるかも知れないですね、
僕も「ヒデボー」という素晴らしいタップダンサーと
コンサートをした事があるけれど、
タップの音は一つの楽器と同じで見ている人間を魅了するんです。
で...下駄っていうのはナンで歯が2本なんでしょうね?
なんていう石井さんのお話を受けて
下駄っていうのは最近の人は履きませんが、
昔、位の高い武士しか履けない履物だったそうですね、と絹谷さん。
先日もテレビで見たんですが(笑)
「高杉新作」なんかは下級武士で、下駄が履けなかった
それが口惜しくて「靴」を履くようになったそうだね...と。
下駄と言えば、京都の舞妓さんのあの下駄...というか「箱?」
みたいなヤツも、僕は一度履いてみたいな...と思うんですけど
アレはなかなか履けないんでしょうね?と石井さん
(私も一回履いて花魁行列してみたいなぁ〜♪こらこら^^;ゞー笑ー)
あれは難しいでしょうし、
そうそう履け無い下駄ですよねぇと絹谷さん。
水のお話しとして、以前石井さんが対談された
千住博さんとの対談(※顏魂展図録に収録)
の際に伺った「牡鹿」のお話しが印象的で...と石井さん。
ある山の滝の前に現れた一頭の牡鹿が
まるで身を呈して仲間を護る様に
目の前に雄々しく立ちはだかる姿に「気」を呑まれて
その滝を思い出す時に「滝」そのものではなく
その牡鹿の「気」のようなものを思いだして描いたというお話しで
石井さんもそのお話を聞いた後に参加した
屋久島でのコンサートの際に
普段は降りた事の無い滝壺まで降りて感じた滝が
細かい粒子となって包み込む様な空気感は全く異質で
グチャグチャになっていた頭の中を、ハッキリと
明確に「あるべき場所」に「これはココ!」と整理して
スッキリさせてくれる様な感覚を感じた。
昔から修行をするお坊さん等が
滝に打たれたりしているのはこういうことなんだと思った...と。
水は素晴らしいですよね、今度石井さんもステージで
滝かなんかをバーッと落としたら素敵じゃ無いですか
(はい、私も常々そう思っていますー笑ー)
と、いう絹谷さんの言葉に
水はねえ...「ステージで水は使うな」と言われている位
お金が掛かるモノなんですよ。
大きなプールなんかを使う場合でも、
水だけでは、ショーにならないので、水の下に照明の配線を這わせたり
色々な仕掛けをしなくてはイケナイワケですから...。
(分かっている...分かっているんです...でもいつか...♪ー笑ー)
ハリウッドなんかで、やっている光と噴水のショーなんて
あれだけで何百億なんじゃないですかね?、という石井さん。
「なるほど...水と光...いろいろ研究されてますね」
と、絹谷さんにお褒め頂いた石井さん曰く
みんなには見せない様に、こう...隠す様にして(と、手で覆いー笑ー)
いろいろな新しい技術等も勉強してコッソリメモしたものが
沢山おありなのだそうです、ハイ♪。
「愛と都と排泄物と(こらこら)」
奈良...というお話しの中で「遷都」にまつわるお話を
昔の日本の都が、遷都を繰り返したのは
「排泄物」との追いかけっこであり
疫病との追いかけっこだったんですよ...と絹谷さん。
一つの都に人が増えて排泄物で溢れると
疫病が流行り、それから逃れる様に都を移し...を繰り返したそうで。
※考えてみれば、道端に平気で牛の糞が落ちていたんですから
人が増えて、不衛生さが増せば自然疫病も蔓延しますよね。
大きな都というのは大体そうですよね、と石井さん。
強大なローマ帝国が滅びたのも、増え過ぎた人口に見合う
木を伐採したり、排泄物や疫病に追われて
外へ外へと「領土を拡げた」のではなくて
「移して行っただけ」だったんですね...と。
絹谷先生曰く、「ヨーロッパ」と言う言葉も
ギリシャから見て「劣っている土地」という意味だそうで
昔は「劣っている」とみなされてたんですね...と。
(「敦厚」という地名は「大都市」という意味だそう)
同じ様に「ルネッサンス」も「排泄物と疫病」の賜物...
的な絹谷先生のお話しにフムフム...。
不衛生だったヨーロッパでペストが流行して
4人に1人くらいが「明日死ぬかも知れない」という時代。
「明日死ぬかも知れない」と思ったら「みなさん今夜何をします?」
と、会場に尋ねる絹谷先生...。(ご講義のようだー笑ー)
「....」口籠る雰囲気の会場...(笑)「することはひとつ...」(笑)
イタリア人にはそういう「危機感」の遺伝子が組み込まれてるんです
「だから情熱的だ」という絹谷さんに
「そうですかぁ〜?」と、疑わし気な声を漏す石井さん♪(笑)
愛(アモーレ)、美食(マンジャーレ)・歌(カンターレ)
これがルネッサンスの頃の
本当の貴族階級の生活の全てで「労働」はしなかった。
ほら...!石井さんを見てると「イタリア人」に見えて来るでしょ?と
悪戯っぽく笑う絹谷さんに、石井さんは、笑うばかり...。
(否定しないトコが好きだー笑ー)
「フレスコ画/黄金テンペラ」
またまたここでお話しが前後しますが、
さきほどの舞妓さんのお話しの流れで...だったと記憶する
「フレスコ画/黄金テンペラ」のお話を
京都の街の舞妓さん、僕も絵に描いたりするんですが
何故彼女達の肌、お化粧はあんなに白くすると思いますか?
昔は、灯りが少なく、お客さんを迎えるのに暗闇でお迎えした。
その中でも顔がハッキリと判る様に、
ああいうお化粧になったんですよ、と絹谷さん。
「だから、僕のコンサートなんかでも『アタシ目立ちたいわ』
という人は、ああいう真っ白いメイクにすると目立ちますから。
ただし...2番から歌えなくなりますけどね(笑)と、笑う石井さん。
フレスコ画の材料は漆喰といいますが
あれは「貝」から出来ていて食べられるし、
みなさんが使っている化粧品の中にも入っているんですよ。
化粧品は肌の中にいかに水分を
上手に浸透させるかが大切なのと同じで
フレスコ画も水を使った顔料という「色」を
いかに浸透させるかが大切なんです。
さきほどの舞妓さんの白塗りは難しくて、
やり直しが利かないけど
フレスコ画は、色々な色を重ねたりもして
以外と厚塗りなんですよ(笑)、と絹谷さん。
僕も実はフレスコ画やった事があるんですよ。
「黄金テンペラ」っていいまして...。
芸大の田口教授という「黄金テンペラ」を
考案された第一人者の方と、ウチの親父が同僚だった...
という縁もありまして...と石井さんが言うと
田口さんは、僕のフレスコ画の師匠にあたる人で
今はたしか「いわき美術館」の
館長をされていたんじゃないかな?と絹谷さん。
その黄金テンペラのフレスコ画...もそうなんですが
絹谷さんは、他の作品の中でも
普段「これと、これはちょっと混ざらないな」
っていう素材を混ぜて絵を描かれていたりしますが
あれは「研究を重ねた上で...」なんですか?
それとも、もうただ「やりたい!」と思われたまま
無茶苦茶に混ぜ合わせて画面に叩きつけたり...
なんていう時もおありになるんですか?とお尋ねする石井さん。
研究ですねぇ...と二ヤリそする絹谷さん。(笑)
どうやったら混ざるんだろう?と思考錯誤して
見付け出した答えが「33度」という温度なんですよ。
水と油をその温度で混ぜて、あるものを1滴落とすと
「これは企業秘密なんで教えませんけど(笑)」
マヨネーズの様な状態になる瞬間がある事を見つけたんです。
と、スッゴク興味津々なお話を...。
「1滴」って「お酢」とかだったら、
まんま「マヨネーズ」ですよね。(笑)
〜という所で2部に続きます〜
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